大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)871号 判決 1960年5月17日
控訴人(原告)
西村義久
被控訴人(被告)
大阪府教育委員会
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し、昭和二七年四月三〇日附を以てなした大阪府泉北郡忠岡町立中学校教諭の職を願により免ずる旨の行政処分及び同年五月一日付を以てなした同郡東陶器村立中学校講師に任命する旨の行政処分はそれぞれ無効であること並びに控訴人が大阪府中学校教諭であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、
控訴代理人において、
「一、控訴人は地方公務員である。地方公務員は、地方公務員法第二七条第二項により、同法第二八条、第二九条に規定する事由の存する場合を除き、その意に反して免職されない身分の保障を有するのであり、また、願による退職は控訴人の自発的意思にもとづくことを必要とし、それを欠くにもかかわらずこれがあるものとしてなされた本件の退職処分は同法第二七条に違反し、憲法第二二条第一項の法意に反する違法がある。而してその違法は重大かつ明白であるから右退職処分は無効というべきである。すなわち、控訴人は昭和二七年三月二四日より同年四月三〇日までの間、数回に亘り、被控訴人より同委員会泉北出張所を通じ、更にその指示による大阪府泉北郡忠岡町立中学校長河内山英雄からこもごも退職の勧奨をうけたのであるが、控訴人は多くの家族を擁し辛じて生活している関係上、同年三月二五日と更に翌四月に入り右出張所指導主事田代百蔵に対し退職の道を選ぶことのできない事情を述べ、その意思のないことを明言していたものである。しかるに同年四月、右出張所並びに河内山校長は、控訴人が退職勧奨に応じないと見るや、控訴人の忠岡町立中学校教諭としての座席を剥奪し、出勤簿への出勤印押捺を拒否して、一ケ月に亘り出勤を阻止するなどの極端な圧迫と侮辱とを加え、「もし控訴人が退職の勧告に応じないときは退職金等のつかない懲戒免職にする。また訴訟を起したり、学校の工具購入に関する不正入札等の秘密を曝露したりしたときは、公務員法違反の罪として懲役に処せられることとなる。」と脅迫し、あまつさえ俸給の支給をも停止するとして退職を強要し、遂に昭和二七年四月分の控訴人の俸給請求書である仕訳書の記載を除外せしめて同月一五日支給されるべき同月分からの俸給の支払を無期限に停止したのである。教師であり多くの家族を擁する控訴人のごときは俸給が唯一の生活源であること明白であつて、控訴人にとり俸給の停止はまさに死刑の宣告と同視せらるべきものである。かくて控訴人は退職を承諾するに至るまで収入の見込なく、死を選ぶか、はたまた退職願を提出するかの二途いずれかを選択するほかない窮境におとし入れられたのである。そして高石中学校長である訴外梶谷耕作が浪速高校教諭である訴外鶴進を通じて斡旋し、河内山校長は控訴人の退職勧告を撤回して転任に変更することを承諾するに至つたのであるが、これとても一旦退職願を提出しなければ転任の取扱をしないとして、前記のごとき極端な侮辱と圧迫を加え極度の強迫をなしたのである。これによつて控訴人は全く意思の自由を奪われ、死より一歩後退して転任の道を選ぶのほかなく、同月三〇日転勤を前提として河内山校長に対し形式的に退職願を提出したのである。しかるに被控訴人は、控訴人に退職意思なく転勤の形式的退職願であることを知悉しながら不法にも右退職願にもとづいて控訴人を免職処分に付し転任の酒を装うて死の青酸加里を与えたものである。控訴人の退職願の意思表示は叙上のごとき強迫行為にもとづくものであるから無効であり、これにもとづいて被控訴人の控訴人に対してなした右処分は控訴人の意思に反するものであるから地方公務員法第二七条第二項に違反し、憲法第二二条第一項の法意に反する。しかもその違法は重大かつ明白であるから当然無効である。
二、地方公務員である教職員に対する教育委員会の転退職の勧告は自殺事件を惹起するなど大きな社会問題として波紋をえがいている。毎年三月の異動期には全国的に自殺寸前の教師の数は数千名をこえる実状である。教育者としては、その学級担任をはずされることすらその強要は自殺の原因である。すなわち昭和三五年四月一二日布施市立第三小学校における仲井校長の兵庫教諭に対する学級担任をはずした強硬行為は同教諭にとつて大きなショックとなり自殺の結果をまねいた事実がある。」
と述べ、甲第一五号証を提出し、当審証人梶谷耕作、河内山英雄の各証言を援用し、被控訴代理人において甲第一五号証の成立を認めたほかは、いずれも原判決事実摘示と同一であるから、之を引用する。
理由
当裁判所は左記のとおり附加するほか原判決記載と同一の理由により、控訴人の本訴請求は棄却すべきものと認めるのでここに右理由を引用する。
一、控訴人に対する昭和二七年四月分の俸給の支給が一時停止せられたことは当事者間に争ないところであるが、原審証人森内桂三、原審及び当審証人河内山英雄の各証言によれば、右は当時の取扱として、転退職の際、事務上の都合から屡々行われたものであることが認められ、右措置が控訴人に退職願の提出を強要するための手段としてなされたものであるとは認めがたい。また控訴人の出勤簿への押印を拒否されたり、座席を剥奪されたことがある旨の原審における供述は原審及び当審証人河内山英雄の証言に照らして措信できない。原審における控訴人本人の供述および右供述により成立を認めうる甲第三号証の一、二によれば、控訴人は退職の勧告により相当大きな衝撃を受け、容易に説得に応じなかつたことが認められるけれども、原判決挙示の各証拠および当審における証人河内山英雄、梶谷耕作の各証言を総合すれば、結局において控訴人は右勧告が已むをえない事由にもとづくものであることを諒解して退職願を提出し、東陶器村立中学校講師に任用せられることを承諾したものであることが認められ、控訴人主張のごとく、度を超えた被控訴人の処置により判断の自由を失い、その意思にもとづかずして退職願を提出するに至つたものであるとはなしがたい。従つて被控訴人の控訴人に対する処分は地方公務員第二七条に違反するものということはできない。
よつて控訴人の請求を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。